kanrisha

夢だったインストラクターに!努力したら開業できた

福岡に住んで20年の男性です。
スポーツインストラクターの専門学校を卒業して初めて職に就いたのが、フィットネスクラブでの会員様(お客さん)に運動指導をするフィットネスインストラクターです。

しかし、きつい仕事の割には、給料があまりよくなく、せっかくスポーツインストラクターの専門学校で身体の勉強をしてきたので、治療家を目指すようにした。

本やインターネットで「治療家」をキーワードで探していると、たくさんの治療家の項目が出てきたのです。

数ある中から選んだのはカイロプラクティック師

「理学療法士」、「作業療法士」、「柔道整復師」、「鍼灸師」、「カイロプラクティック師(整体師)」など、自分は速く手に職を付けたかったので、民間療法の「カイロプラクティック師(整体師)」を選んだのです。

「理学療法士」、「作業療法士」、「柔道整復師」、「鍼灸師」は専門学校に3年通った後に国家資格の試験を受けるシステムになっていたのです。

「国家資格だったら取る価値があるなぁ。」と思ったが、自分はその時はもう25歳で結婚もしたいと考えていたので、「稼げるようになっていないといけない。」と考え、インターネットで調べた中に「カイロプラクティック教室」を見つけて「カイロプラクティック」というものを調べていくうちに、「いいなぁ。」と思い、「カイロプラクティック(整体師)師」の道へと進むことを決めたのです。

決めた理由の中に「カイロプラクティック(整体師)師」の勉強を教えてくださる方が「オリンピックトレーナー」という事だったのです。

10時から18時まではフィットネスクラブに勤務して19時からはスクール(学校)で「カイロプラクティック師(整体師)」の資格を取るため勉強した。

勉強の仕方は初め、テキストを見て読むだけの内容でそのテキストを読んだ後、実際にどのような施術をするのかという勉強の流れだったので分かりやすかったのです。

自分はスポーツの専門学校に行っていたので身体の解剖学や生理学などは、勉強していたので頭に入りやすかったが、他の生徒はサラリーマンだったり主婦だったりなので、自分が教えたりしたこともあったのです。

 

努力した結果自分の居場所を見つけることができた

それを見てくれていたおかげなのか、そのスクール(整体師)の講師でもあった先生が、「ウチの治療院で働くか。」と聞かれたので、自分は「はい。」と答えた。

次のステップに進むため、フィットネスクラブの仕事はやめないといけなくなったので、上司に「退職届」を出したのです。

時期はタイミングよく2月で年度変わりだったので「タイミングがいい。」と思い、思い切って言ってみたら、上司はまさか辞めるとは思っていなかったらしく、少し怒った表情で、「ちゃんと後輩に仕事を受け継ぐように。」と言われ、何とか転職できた。

転職後は整体師になって開業するまで、カイロプラクティック師匠の治療院で勉強のために住み込みで勉強させてもらい結局、カイロプラクティック(整体師)の世界は「厳しいなぁ。」と感じたのでアルバイト情報誌で、治療院から近い場所にあるフィットネスクラブにアルバイトとして就職し師匠の治療院とフィットネスクラブのアルバイトの仕事をすることになった。

時が過ぎて、フィットネスクラブで「パーソナルトレーナー」という個別指導が流行って、フィットネスクラブの上司に「自分はカイロプラクティック(整体)ができます。」と言って、フィットネスクラブの場所で開業ができたのです。

運が良かったのです。場所がフィットネスクラブなのでお客さんも顔見知りの方が多く場所代も歩合制だったので、光熱費などがそこまでかからないので、自分で開業するよりかは良い条件がそろっていたのです。

お客様もフィットネスクラブの会員様がほとんどだったので、疑われることなく施術ができた。

師匠もフィットネスクラブの会員になり自分の様子と自分の健康のためにフィットネスに通ってくれたのです。
「人思いでいい師匠だなぁ。」と思った。「よく考えたら、人思いではないと治療家にもなれないか。」とも思い返した。

結局、転職してきつかったけど、良い経験したので良かった。

店長候補で入社したのにただの下っ端

私が短期退職したのは24歳の時。性別は女です。

当時アパレルスタッフとしてそれなりの経歴があり過去に様々な結果も残していた私は、ステップアップをするために店長候補として入社できる会社を探していました。

そんな時、アパレルスタッフとしてはお給料も良く、店長候補募集として求人が出ていた会社に応募しました。転職サイトに添付されていたスタッフさんの画像も、仲が良さそうで、わきあいあいとした雰囲気だったことも決め手です。

順調に書類審査が通り指定の店舗へ面接へ行くと、そこには忙しそうにしているエリアマネージャー(当時)がいました。
これまでのアパレル店の面接とは違い対応はぶっきらぼうで、立ったままでの面接でした。

さすがに「こんな面接もアリなのか・・・」なんて不思議に思ってはいましたが、結果は合格。

採用され店長候補という肩書で入社?

めでたく店長候補として入社できるとの連絡をいただきました。

数日後から面接をした店舗での研修も終わり、所属する新店舗へ行くことに。
その途中で他のスタッフと合流しました。

新店舗でしたので、このときは一緒に働くスタッフさんなのだろうとしか考えていなかった私。
しかし、実際に新店舗に着くと「この方が店長です。」と先ほど合流したを紹介されました。

そして私は「副店長」

とはいえ、店舗を回すのは私を含めた3人のスタッフ。
実質副店長もなにもありません。

始まりはこんな感じで、最悪なスタート!
自分のステップアップをしようと店長候補で入社できると連絡を受けたのにもかかわらず、結局は下っ端のままです。
しかもそれからの日々が、鬼のような毎日でした。

パソコンすら触れない店長に嫌気がさしてきた

館の店長会には私が出席させられ、当の店長は「パソコンができる」と言って入社して店長になったにもかかわらず、パソコンが一切触れない。操作もできない。
コピーペーストでさえもわからないような方でした。

そのため、会社の店長会に持っていくような資料はもちろんすべて私が作成していたのです。(店長会では資料は店長が作成したことになっています。)

そんな毎日が続いた3ヶ月間。
「このままではステップアップなんてできない」と考えた私はエリアマネージャーに退職の意を伝えました。

エリアマネージャーや会社の意向もあり、結局そのときの退職話はなかったことになり、他店への移動と店長への昇格をいただきました。

しかし、ここでもまた嘘が発覚。
店長にさせていただけるわけでもなく、なぜかゆとり教育真っ只中の敬語も使えない、すぐキレるようなバイトの下っ端のような存在に。
あろうことかその店舗の店長は本社勤務で、ほとんど店舗には顔を出さないというブラックっぷりでした。

シフトを作成するのも、店舗の売り上げを管理するのもすべて私。
なのに、なにかがあるといつもバイトちゃんたちの方をもつ本社勤務の店長。
半ばイジメのような状態になっていたのが事実です。

異動してから、2ヶ月後には精神的にも病み始め、体調のことを優先してその1ヶ月後には退社をするという意思を伝えました。

入社して半年後の早期退社。私的にはすごくキツかった時期でしたが、本当ならもう少し耐えたかった・・・。
しかし、心は正直なものでどんどんと病んでいくのが現実でした。

その後、約束通り退社。
まずは体を治してから、次の会社を探しました。

短期で退職したけれど充実した毎日に

退社をしてからは毎日求人サイトを見て、得意分野だったパソコンを活かせる事務系の仕事に転職することができました。
短期退職というと、やはり周りからの目もありますし、履歴書に残ってしまうという点できっと自分の中でもひっかかる部分はあるはずです。

しかし、ひどい会社で自分の首を絞めてながら精神を痛めるよりも、まずは精神衛生上のことを考えて幸せに暮らす方が良いのではないでしょうか。