kanrisha

飲食店ならではの長時間労働の嵐と超薄給

私の年齢は23歳で男性です。
私がこれから話すのは私が当時勤めていた会社でのブラックすぎる出来事について話します。

当時私は18歳で高校を卒業後にすぐに就職しました。
私は小さい頃からコックになるのが夢で、すぐにでも働いて自分の腕を上げて一流のコックになろうと目指していました。

夢を叶えるために必死になっていた

私が就職した会社はかなり大きな会社で和洋中と全ての料理での部門がありました。
私はやっぱりやるからには洋食の部門を選び毎日必死に働いていました。

私がこんな素晴らしい会社から、なぜ転職をしようかと考えたのはあることがきっかけでした。

その会社は最初の研修期間だけしっかりと8時間労働で、最初はしっかりと休憩も取れていました。

しかし研修期間が終わると、しっかりとした休憩はなく、また自分の出勤時間よりも2、3時間早く出勤して働き、8時間仕事をしてもタイムカードだけきってさらに8時間近く働いたこともありました。

しかし最初は私の将来のためだとか、先輩よりも早く出勤して先輩に仕事を教えてもらうには、いかに自分の仕事を早く終えたり段取りが大事かなどを思って働いていました。

そして、ある日出勤時間よりも2、3時間早めに仕事をしていると、自分の出勤時間が過ぎてしまい、タイムカードを押し忘れて結局給料にひびいたりなどありました。

 

慣れたころには長時間労働、休憩なしが当たり前に

そして私が社会人2年目、コック2年目の時には毎日14時間労働や休憩を取る暇がないのが当たり前になってきました。

私の友達からは、「毎回そんだけ働いて給料少ないね」と言われた時もあれば、「それは給料と働いている時間の割があっていない」など、色々言われたこともあります。

しかし、私は我慢しながら必死に働いていました。
そして私が転職を本気で考え始めたのが社会人3年目の冬でした。

私には高校から付き合っていた彼女がいて、その彼女と籍をいれ私に子供ができました。
それと同時に私には金銭的な不安がかなり強くなりました。

私はかなり悩みました。
私の夢は一流のコックになることだったのですが、やっぱり今の会社でサービス残業やら休みの日まで出勤して金にならない仕事をしてもただ会社が喜ぶだけ。

でも、今は我慢の時だとかなり葛藤した結果、私は自分の将来の夢を諦め家庭や産まれてくる子供を選びました。

 

夢よりも大切なもの、それは家族でした

そして私はこのブラックすぎる会社、そしてコックの道とさよならしました。

転職後は前の会社とは違いしっかりと8時間労働で休憩もしっかりといただいて、前の会社より断然いい給料をいただいています。

転職先がブラックではなくホワイトで本当に心から良かったと思います。
なぜ前の会社があんなにもブラックだったのかは転職して離れてみて気付きました。

今あの会社にいる人たちが作っている空気や社風が、あのようなブラック企業を生んでしまったんだなと私は思います。
なぜあんなにも立派な会社がそんなことになってしまったのかは、やっぱり先輩が頑張っているのに私が頑張らないでどうするという空気だとおもいます。

決して悪いことではないんですが、結果としてブラック企業にしてしまったんだと思います。
これから転職を考えている方に私からアドバイスがあります。

今いる会社がブラックだと少しでも感じたら周りに相談する、もしくは相談する相手がいない場合は我慢などは決してしないでください。
早く次の仕事をみつけてください。

時間と労力を使い、精神が病み、しまいにはストレスに変わってくるだけです。
私も経験したからこそ今このアドバイスを伝えられます。

転職したからといって逃げた訳ではありません。
弱い自分にかってまたあなたの新しい未来があなた自身の手で開こうとしているので、消して自分を捨てないで下さい。
私も新しい場所で毎日頑張っています。

あなたも新しい未来をつかんでください。

自分自身、成長が遅すぎて入社1年半で転職

25歳女性です。
入社したのは21歳の時ですが1年半で辞めました。

辞めたいと思ったのは入社して半年が経ったころでした。
辞めたいと思った理由としては、元々私を面接しがつがつ会社をアピールし、私もこの人とならやっていけるだろうと思えた社長がおり、最後は入社を決意しました。

そこは、小さな会社で、医療事務の会社でした。
作業としては、事務の仕事やお客様に商品説明や販促をするというものでした。

最初は、積極的に社員やお得意様に私を紹介してくれていました。

みんなとても優しかったのに

終わってから、一人暮らしだった私を気づかいご飯に連れて行ってくれたり、奥様を紹介してくださり、「何か困ったことがあればお母さんだと思ってなんでも言ってくれてもいいんだよ。」と言われ、私はなんて優良な会社に就職したんだろう!とうれしくて毎日会社が楽しかったのを覚えています。

小さい会社だったため、同期はおらず、仕事の愚痴や悩みを相談できる人が近くにいなかったのですが、年の近い上司もとても優しく、駅まで一緒に帰ったり、ランチを一緒に食べたり、夜はたまにではありますが、飲みに行くこともありました。

ですが、その分怒られることも多く、半年たったころあまりにも成長できていない自分に腹が立ち辞めようかと考え始めました。

「お客様への挨拶ができていない」、「説明が下手すぎる」、「お前のレベルに見合ったお客様しかつかない」、「いつまで学生のつもりなんだ?」など、最初は軽く怒られるだけでしたが、そのうち、社長の気分で怒られてしまったり、イライラをぶつけられたりしました。

私が、毎回怒られていることは、教えてもらっていないことばかりでした。
教えてもらっていないまま、お客様の対応をさせられるときには、上司の対応のみよう見まねで、必死に取り組んでいましたが、そのあとは必ず怒られるような感じでした。

教えてほしいと、メモを取り聞いても、曖昧にされるだけで、わからずまた怒られるの繰り返しでした。

わからないまま、いきなりお客様の迎え入れ、対応、お見送りまでのテストをされることもありましたし、そこでも社長だけでなく、上司数名に見張られた中で行い、全員から注意を食らいました。

そんな中、そこから1年が経ち、毎日苦しく会社に出るのが億劫になっていました。

当時付き合っていた彼にも私の様子がおかしいと毎日心配され、母にもやめて帰ってきなさい。といつも言われていました。

負けたくなかったし、見返してやるという気持ちで頑張りましたが、ついにおかしくなり、精神安定剤を貰う時が来てしまいました。

もう辞めようと思っていた中、彼からプロポーズされました。

寿退社ならすんなりやめることができるだろうと思い、いつ言い出そうか悩んでいましたが、誓約書には3か月前までに。と記入があったので、その通り3か月後に辞めさせてください。と、たまたま社長と二人で残業した時があったのでその時に伝えました。

 

寿退社なのに嫌なことを全員に言われ・・・

意外にも祝福のメッセージをもらい辞めれる方向に向かうのかな?と思っていると、2日後、定時終わりに全員集まりいきなりミーティングが始まり、私への尋問と愚痴をみんなに言われました。

寿退社なんてありえない、そんなで辞めないって言ってたよね?仕事をなめてるなど。そこからみんなは散々言ってすっきりしたのか、私は1か月後に辞めれることになりました。

辞めてから、私を知ってくれている人は明るくなった、笑顔が増えた!と周りからも辞めてと買ったねと言葉をかけてもらい、その後は結婚もし今は本当に幸せです。

社会人1年目にして、こんな社員たちのなかで、休みも少なく、お給料も少なく、ボーナスもない最悪な会社に就職し、たくさん勉強できたので次に活かし、次こそは良いところに就職したいと思います。