kanrisha

転職するなら自分のやりたいことを一生懸命やるべき

私は、現在43歳です。
私は、高校卒業後に就職しました。その当時はまだ、バブルの後半だった為、求人も1人に4件の求人がありました。
その当時、若い事もあったのですが、やりたい仕事はなかったです。

結局、大手の工場に就職しました。
この面接は、落ちる前提で担任の先生に「落ちると重いけど、面接で何を聞かれたか教えてほしい。」
という内容で、面接に向かいました。

私は、見事に合格し、その会社で働く事になったのです。
仕事は3組3交代で、1周間で、交代するという体制でした。
私は、仕事の本当の意味がわかっていなかったので、生活を変える所から始めました。

それから、5年後、班長になったのですが、私に疑問に思うようになりました。
「自分が本当にやりたかった仕事なのか?この職場を辞めたら、今のスキルが他で役にたつのか?」

私は、いつも心のどこかで、その疑問について考えてました。
その時期から、職場でのパソコンが導入され、エクセルで資料なんかを作る事が増えました。

私は、単純にパソコンが好きで、このパソコンを使って、仕事が出来ないか?
と思うようになりました。

その時、たまたまテレビの特集で、IT業界が急成長して、人手が足りないというニュースを聞きましした。
私は中学の時、家庭のテレビに接続でMSXというパソコンを持っていました。

もちろん、ゲームが中心でしたが、ベーシックという言語でプログラムを作る事が出来ました・
私は、興味があったので、独学で勉強していました。
高校のお時のプログラムの授業では、10ばかりでした。

私は、どんどんプログラマーになりたいという気持ちが大きくなりました。
今の会社を辞めて、転職するのは勇気がいりましたが、思い切って、退職しました。
これから、プログラマーになる為に、独学で勉強をしました。第1目標は資格をとる事です。

派遣社員で、ラインで働きながら、パソコンスクールの12回コースに参加し、家でも毎日、勉強しました。
資格も撮れて、本格的に就職活動する為に、派遣会社を辞め、ハローワークに毎日行く日々を送りました。
何社か面接をうけましたが、このIT業界での転職は難しいという内容ばかりでした。

私は、人生をミスってしまったのかも?と思いながらも、面接をしました。
その面接に行った会社は不採用でしたが、たまたまあるシステム会社の社長が来ていて、一度、会社に遊びにこないか?
と誘われました。

私は、実践で仕事している人を見てみたかったので、遊びに行くようになりました。
私は、この会社に就職して、経験値を手に入れて行きたいと思いました。

私は、同じ年の人たちに比べて、スタートが遅かったので、2年間。
休み無しで経験値を入れる為に頑張りました。
そのうち、大手の鉄鋼所でのラインの自動化をどんどん進めているという事で、私も参加しました。

ここで、うまくいけば常駐という形で、仕事がドンドンもらえる状態した。
私は、この工場で沢山のシステムをやって来ました。
ある日、会社の社長と仕事の事で喧嘩になり、会社をやめる事にしました。

ここで、問題なのが、会社は辞めても、プロジェクトは進んで行くという事でした。
就職活動をする暇がなかったので、思い切って個人事業主となり、フリーランスのスタイルで、仕事を継続する事にしました。
給料は、直でもらえるので、収入が4倍くらいになり、驚きました。

私は、お金が増えることよりも、システムで以下に名前を残せるか!が目標でしたので、頑張りました。
その後、10年間、この大手のシステムを続けてやらしてもらえました。
それと、気がついたら、プログラマーでは無く、システムエンジニアとして仕事をしていました。

転職は、本当に人生を変えるイベントですが、動かなくて年をとった時に、あの時やっておけば良かった!みたいな情けない気持ちになる位なら、失敗しても後悔は少ないと思います。

今は、大手でも終身雇用なんて概念はきれいさっぱり消えている事を考えると、どんどん挑戦して経験値を手に入れた方が幸せだと思います。

営業職で上司に売上取られるばかり。わずか半年で退職!

24歳男性です。
新卒でコピー機やファックスを販売する会社に営業職で就職し入社からわずか6ヶ月で辞めました。

テレアポでもなく反響営業でもなく実際は新規飛込営業?!

飛び込み営業はあまりなく、テレアポ等での反響営業が主流だとインフォメーションされていましたが、実際は飛び込みローラー営業でオフィスビルを上から下まで1件1件廻る営業が主でした。

毎日エリアを決めて、地図でターゲットビルを決めて、それを達成するまで続けなくてはいけない毎日でした。
いきなり訪問してもコピー機やファックスがない会社なんか今時なく、名刺さえ受け取ってくれない瞬殺のことが多く配属から10日ほどどで心が折れそうになりました。

最初は資料を渡し、訪問先から名刺をもらえれば上出来でした。

届かない目標なんて意味がない・・・

月の売り上げ予算を設定されそれを1日の訪問件数目標、折衝目標、名刺獲得目標、まで細かく落とし込み毎日PDCA管理とは名ばかりの上司のツメが行われ、折衝率が悪ければそれに応じた訪問件数が逆算で出され、1日2万件や3万件の机上の途方もない訪問目標がはじき出されました。

3か月に1度、隣接県の営業所の応援に行き1人1台売るまで帰れないというキャンペーン営業という地獄のような出張営業がありました。

普通夜中にオフィスに営業に行っても、話しなんてできるはずもないことぐらい誰だってわかるはずなんですが売れなければ21時、22時まで飛び込み営業を続け会社には戻れません。

先輩達は経験も長いでの紹介や、仲のいい同僚同志で売り上げの貸し借りで達成していました。
入社後その営業に2回目に参加した時のことです。
ラッキーなことに複合機が1台売れ、その会社の関連会社を初回頂きそこでも契約がとれました。

必死になってとった契約を上司に・・・

すぐさま上司に報告し達成したので早めに営業所に戻ろうとしたときに、上司から電話がありその契約を貸しといてくれといってきました。
自分は全く契約が獲れないらしく、最後は半命令のようなもので譲りました。

同期の同僚に話すとそのことは当たり前のことらしく、昔からまかり通っているとのことでした。

いつもそのパターンで部下の契約を横取りする輩もいるらしく、成績優秀な人ほどこの不条理な憂き目にあっているようでした。
次のそのキャンペーン営業でも同じことがあり、拒むと急に風当りが強くなり露骨なイジメが始まりました。

一番上の上司に相談すると、そんなの当たり前だのようなことをいわれたので私もこんなパワハラに堪忍袋の緒が切れたので退職を決意しました。

親にも相談しましたが、堪え性がないだとか根性がないだとか説教されましたが私の決意は固く退職しました。
同期4人も全て順次退職しました。

再就職では、当然面接で早々で辞めたことについての質問が多く我慢がないんじゃないかといった圧迫方法で攻めてこられるので、会社の悪しき慣習とその影響、考え方の正当性、再スタートの意気込み等論理的に答えれるようにして面接に臨み、比較的短期で再就職が決まりました。

現在はいい先輩、上司の元一からビジネスマナー、営業テクニック等を習い猛勉強中です。

転職は間違ったと思ったら早急に軌道修正するべきだと思います。
堪え性であるとか我慢といった考え方は間違ったことに気づいてアクションを起こそうとするときには、当てはまらないナンセンスな考え方だと思います。

会社は説明会や面接だけで全て分かるはずもなく、実際入社して仕事をしてみないとわからないことばかりなので一種の賭けみたいなところがあると思います。

ハローワークでの紹介でトライアル求人というものがあります。
ほんの一部の会社ですが一定期間働いてみて正式に入社するかどうか決める制度のものもあるので、これを使えばある程度のことはわかりこんなハズじゃなかったが回避できます。

これを利用するのも退職しないためのいい方法です。